◆1980年、東大阪市民会館にて、故・朝比奈隆指揮「府民劇場“第九シンフォニーの夕べ”」が開催され、東大阪で初めて“第九”が演奏されました。その際に結成され舞台に立ったのが「東大阪第九合唱団」。私たちの団の前身に当たる合唱団です。
「“第九”、来年もせぇだい歌いたいわぁ! この合唱団、解散せんといてや~!」大勢の人たちの熱い思いが通じて、大阪フィルのバイオリン奏者であった、故・畑実先生のご尽力を得、1981年「近畿大学文化会交響楽団」の定期演奏会に出演し、再び“第九”を歌うことができたのです。
◆1982年からは、「近畿大学OB交響楽団」とともに、アマチュア合唱団とアマチュアオーケストラによる「第九シンフォニー」を続けて開催してきました。1999年には指揮者に木村俊明先生を迎え「東大阪第九シンフォニー合唱団」として再出発、オーケストラも「近畿フィルハーモニー管弦楽団」に改称、以来毎年12月に、欠かすことなく合唱団とオーケストラが二人三脚で “第九シンフォニー”を演奏してきました。
◆2024年、鹿岡晃紀先生を合唱団常任指揮者にお迎えしました。ピアニストは引き続き森本恵子先生にお願いしています。両先生のもと、地域の音楽文化を担う合唱団としてさらなる成長をめざしてまいります。
◆ホールの客席に座ると、舞台上にスポットライトがあたり、やがてあこがれのアーティストが登場して…。
演奏会やコンサートとは、「行くもん」「聴くもん」。そしてその舞台は、客席からは近いようで「遠いとこ」でした。
◆”歌う仲間”になった時から、だれもがもはや単なる”聴衆の一人”ではなく、”演奏者”です。あの舞台に、大オーケストラ、ソリストとともに、合唱団の一員として舞台に立ち、ベートーヴェンの音楽の一翼を担うのです。
「しょうみありえへん! 感動のてんこ盛りや! ホンマ、ごっつええやん!」
”舞台に立つ喜び”を、あなたもぜひ経験してください。
◆合唱練習は、登山に似ています。発声も譜読みも、一歩一歩の積み重ねによって身についていきます。特に“第九”は「北アルプス槍ヶ岳」をめざすようなもの。初心者にとって難易度が高めですが、いつかは登りたい、頂上を極めたい“あこがれの高峰”です。
そのためには、日々の基礎トレーニングが必要ですし、計画的で綿密な準備が欠かせません。 どんなに高い山でも、歩みを進めていけば必ずめざすピークが近づいてきます。
◆「今日はここの音程、覚えよか!」「ウムラウトの発音、マスターしたろ!」などと、具体的な練習のめあてを持つことが大切です。目標を持った練習こそが上達の近道、セオリーです。
ただ“第九”は難易度が高いので、すぐにスラスラとは歌えません。時間がかかりますし、根気のよい努力が必要です。
◆でも決して悩まないでください。焦らないでください。「アカン、でけへん、わいはへたれや…」「天辺(てっぺん)まだかいな?遠すぎひん?かなんわぁ」と感じることもあるでしょうが、途中の道にこそ、たくさんの楽しみがありますよ。
足元の草花、谷川のせせらぎ、小鳥のさえずり、尾根を渡る風…時に立ち止まり汗を拭い、途中の風景を楽しみながら、あなたのペースで登ってください。
◆当団には、“第九”を10年、20年、30年と、歌い続けている団員もいます。飽きないのでしょうか…?
答えは・・・
「飽きさせて、くれまへんのや!」
「ホンマ好っきゃ、おもろいねんて!」
”第九”は奥が深いです。何度歌っても、「こんなもんで、ええんちゃう!?」「せんど、やり尽くしてもうたわ!」「ハイでけた、終(しま)いや~」ということがありません。毎回、新しい発見があり、チャレンジしたくなります。それほど、音楽に魅力があり、芸術性が高いのです。
◆“第九”は合唱も、オーケストラも、多人数でなければできません。みんながそれぞれに努力し、積み上げてきたものを持ち寄り、ひとつの音楽を協力して作り上げていきます。それこそが“第九”の醍醐味だと言えるでしょう。
多くの団員にとって、「”第九”はライフワークでんな、人生のええ相棒でおま!!」
・・・こってこてで、かんにんなぁ~ <(^∀^*)ゞ
どうぞあなたも! No Dai9, No Life!!
(t-Matswra)